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Noosology Lodge 忘年会Withヌース対談2011開催! [ヌーソロジー]

私Ricardoが主催しているヌーソロジーSNS「Noosology Lodge」の年末イベントが開催されます。
以下、イベント詳細です。

間際のご案内となって申し訳ありませんが、ご興味のある方はご連絡ください。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

昨年はヌーソロジー提唱者の半田広宣氏ご本人による7年ぶりの東京でのミニレクチャーを開催し、大好評でした!
またその後の懇親会(忘年会)も時間延長までして大盛り上がりのうちに無事終了しました。

そして今年も忘年会を企画しました!
先行してSNS内で募集しておりましたが、今年は忘年会と、その中でヌース対談と称して、私Ricardoが半田広宣氏にヌーソロジーについていろいろ聞いてみたいと思います!
忘年会で飲み食い出来、数少ないヌーソロジストと出会え、そしてヌース対談まで聞けてしまう!
一度ならず三度もおいしい忘年会です☆


件名:Noosology Lodge 忘年会Withヌース対談2011

日時:2011年12月4日(日) 18:00〜21:00

会場:パセラ新宿本店
URL: http://www.pasela.co.jp/shop/g_map/psk.html

会費:7,000円/人

申込先: ricardoあっとまーくyahooどっとcoどっとjp
      (平仮名を半角英記号に変換してください)

※食事の用意がありますので、できるだけ事前にご連絡ください。

「意識と身体と空間を考察するワークショップ(仮称)」11月25日に開催! [メディア]

「意識と身体と空間を考察するワークショップ(仮称)」を11月25日(金)新月の晩に、開催決定!



WS名:「意識と身体と空間を考察するワークショップ(仮称)」

 日時: 2011年11月25日(金) 19:00~22:00

 場所: 新宿 (詳細は別途個別にご連絡します)

 応募方法:

   Twitterで@Ricardo_orbrs宛てにReplyでご連絡ください。
   もしくは当ブログにコメントで参加のご意思をお伝えください。
   または直接「ricardoあっとまーくyahooどっとcoどっとjp」(平仮名を英数小文字へ変換)へタイトル「11/25ワークショップ申込み」でご連絡ください。
   個別に連絡手段を確認後、詳細等をご連絡する予定です。

 参加費: 3,000円/人 (ワンドリンク、軽食付き)

 定員: 8名


「意識と身体と空間を考察するワークショップ(仮称)」では次の時代へ向けた"世界を観る視点"を考えてみたいと思っています。

現代の視座の基礎ごと捉え直しを試みます。

その基点は主観性。
あまりにも客観性が強くなり過ぎた現代を、今一度”ワタシ”の視点から構造的に捉え直してみたいと思っています。



「意識と身体と空間を考察するワークショップ(仮称)」は成功哲学や自己実現のワークショップではありません。

視点の再構築でどんな世界が開けるのかはその視点に立ってみないとわかりません。
応用や展開は様々に出るでしょうが、人生論や意味論は一旦脇に退けてまずはその基礎構造の再構築を試みます。



なぜワークショップを行うのでしょうか?

ワタシとアナタは相互に認識し合う事で成立し合っています。
共有認識の世界観も同様です。

そもそも何が自己なのか、何が世界なのか、から捉え直したいと考える時、相互成立させている視点の片方だけの変更はなんだか片手落ちに思えたので、ワークショップで共有出来ないかと考えました。



科学の客観至上主義が描く未来像や、
宗教の語る世界観や悟りや解脱、
昨今話題の次元上昇やアセンションも、

それらの概念自体が何やら今までの旧態依然とした視点を引きずっている様に思えます。

ある側面としての捉え方としては様々なので全く否定するものではありませんが、違和感を禁じえなかった方も、ぜひ覗いてみてください。



新たなる世界への冒険へ、いざ!

新たなるスタート ー 新ワークショップ開始 ー [メディア]

マヤ暦の2011/10/28にしろ2012/12/22にしろ、今年から来年は大きな流れの節目であろうことは世情をみて感じている人もいるだろう。
既存の体制や既知の知識体系に対する変革欲求もだいぶ高まりつつあるようにも思う。

そんな次の時代への変化の時に求められるのは既存の文化でも宗教でも法でもなく、現代の学問体系でもないだろうし、ましてや既知を引きずっているスピリチュアリズムでもないだろう。

新時代とは言わない。
次に来る時代のベースになるような視座を作る為には、既存の諸概念を一度脇において、改めて観えているものをあるがままに観なおすことは必要かもしれない。

我々は観ているこの景色に様々なフィルターを重ねてきた。
大自然に畏敬と神を見出し、奥行きを見出し、夜空の神々を見出したり追い出してコペルニクス的転回と称した現代科学観的マッピングをしてみたり。
個々人の成長段階においても人類史的にもフィルタリングを繰り返して来たし、今もしている。

今一度主観から世界を捉え直したい。
主観における空間と意識と身体の関係性を見直すことで意識の視座の再構築を。
どの様な景色が観えてくるかはわからないが、見出せるかもしれない新地平にチャレンジしたい者よ、集え!

コルマンインデックス後に幕開けした新時代の今11月より「意識と身体と空間の関係性を見直し意識の視座の再構築に挑戦する冒険者の集い」(笑)を企画しています。
1、2ヶ月に一度定期的に都内でワークショップ形式で実施予定です。
冒険に名乗りあげる人と併せてWSのネーミングも募集します(笑)

詳細決まり次第、別途ご案内します。

Psypher&RicardoのSkype対談(UST配信) 概要(テキスト版) [ヌーソロジー]

(以下は先日行われたPsypher&RicardoのSkype対談UST放送の概要をテキスト化したものですが、実態とは若干違いがあります。記憶を辿って書き起こしたので、違いはご容赦ください。)


Ricardo(以下R):みなさん、こんばんは!
 Ricardoです。
 今夜はNoosology Lodgeで独自の身体論を展開されてるPsypherさんと、同様に最近独自の自我形成論を構築し始めた私、Ricardoが、お互いの考え方を紹介しあいながら、ヌーソロジーを絡めて、雑談形式で、お話したいと思ってます。
さっそくですが、まずは、Psypherさんの身体論を紹介してもらっていいですか?

Psypher(以下P):こんばんは、Psypherです。
 みなさん、よろしくお願いします。
 それでは、僕の身体論の方なんですけども、
 以前から人体の206個の骨のうち、特に「背骨」(この場合「仙骨」も含みますが。。)に強い関心があったため、
 ヌーソロジーの観察子をベースに捉え直してみたものなんですが、
 要約するなら「背骨とは【認識】におけるまさに『バックボーン』ではないのか?」という主張になります。
 また、そうした予想を持つに至った背景には、「頚椎C」「胸椎T」「腰椎L」というカテゴリーと、
 それぞれが7椎・12椎・5椎といった数の構成に何か「怪しさ」を感じたというか、
 そんなとてもシンプルなものなんですが。。
 というか、実際何か怪しくないですか?w
th_sot2.jpg
 なので、ヌーソロジーにおける「空間観察子α」が「頚椎C」7椎の由来であるし、
 「次元観察子ψ」が「胸椎T」12椎の由来であるし、「体系観察子Ω」が「腰椎L」5椎の由来として解釈しています。
 ちなみに現在では、「次元観察子ψ7」の凝縮化である「体系観察子Ω1」を「胸椎T」の7番目に対応させているので、
 結果、「腰椎L」は「脈性観察子Φ」として解釈していますね。

R:脊椎と観察子構造が対応してるのは非常に興味深いですね。
 この他にも、観察子構造を円構造として捉え直したTourbillon Circuitもありますよね。紹介してもらえますか?

P:はい。「Tourbillon Circuit」(以下、TC)は、ヌーソロジーにおけるケイブコンパスを別な角度から捉えたモデルですが、
 このちょっと変わったカタチになったのは、先ほども言ったように「背骨」に関心があったのと、
 半田さんと初めてお会いした東京ヌースレクチャーの帰りの電車の中での一言があったからでした。
 かいつまんで言うと、
 「身体をヌース的に捉えるにはどうしたらいいんでしょうか?」という僕の漠然とした質問に対し、
 「整体をしているのなら、カラダの数やカタチを位相的にアプローチしてみては?」
 という半田さんのアドバイスをいただいたのがきっかけだったんですね。
 そのときの半田さんの解説はとても「ナルホド!」という印象でしたが、残念ながらそのほとんどは理解不能でした。。汗
 けれど、先ほども言ったように「背骨」に関心があったので、まずはそこから始めてみよう!と。
 ただ、間もなく「背骨」を位相的に解釈するということに行き詰まりを感じるワケですがw、
 そんなとき、「背骨」の土台に当たる「仙骨」と「蝶形骨」の相関関係に言及している「MRT(仙骨瞬間無痛良法)」
 という整体の考え方と出会いました。
 それで「背骨」の土台である「骨盤」に関心が移り、これらの骨のカタチを位相的に解釈することを始めましたワケです。
 で、試行錯誤の結果、「ヴェサイカ・ピシス」(魚の浮き袋)が適切かと。
 ただ、それだけではあまりにもシンプルすぎて解釈し切れないないので、
 この図(PC画面上)のように、「ヴェサイカ・ピシス」にさらに内接する円を2種類想定してみました。
th_PSO Circuit(7階層版).jpg
 すると大円・中円・小円の3種類が形成されますが、結果、小円に「仙骨」が対応し、
 中円に「寛骨」が対応し、大円を含めた全体に「骨盤」が対応する。。
 この大円・中円・小円のカタチは「蝶形骨」に当てはめてもごらんのように違和感がなく表現されますので、
 ちょっと単純ですが、「MRT」における「仙骨」と「蝶形骨」の相関関係の位相的表現と解釈しています。
 ただ、次の疑問が生まれました。
 それは、もしこのような円のカタチと「仙骨」や「蝶形骨」に関係があると想定した場合、
 果たしてそれらはどのような観察子に相当するものなのか?というものです。
 それ以降、ケーブコンパスを参考にケイブコンパスとは別のモデルの構築に取りかかり、かれこれ7、8年?になりますが、
 以前はS.O.Tというモデルから、現在のTCという構造に至ったワケです。
 実は別の発想がベースにもあり、また具体的な構造論は今回は割愛しますが、
 簡単に言うと「仙骨」は、各観察子の9番目と10番目に相当すると予想しています。
 何れにしてもTCの大枠が出来たことで、縦横無尽に「背骨」を語る枠組みが出来たのではないかと思ってます。
 こんな感じでしょうか?
 Ricardoさんの自我形成論にも興味あるんですけど、どんなものですか?

R:それではボクの自我形成論を紹介しますね。
 元々はヌーソロジーで次元観察子の構成を発達段階に対応させていたのを福岡ヌースレクチャーのDVDで観た事と、自分の子供がちょうど乳児から幼児へとその発達段階にかかっていたこともあり、ある意味リアルタイムに人間の自我形成の初期段階を目の当たりにしながらヌースの解説を聞いたことをきっかけに人間の自我形成に興味をもったのが始まりでした。

 結論から言ってしまうと、人間意識の自我という概念は、この身体を通して知覚される三次元空間感覚、四次元時空知覚の上で成り立つものなのではないか?というものです。
th_発達過程にみる無意識構成.jpg
 段階的に説明すると、精神が無意識層において世界を形成している中で意識が新生児という身体とともに世界に顕れてから、まず触覚が発達し、世界における立体感覚を発達させます。
 その次に視覚が発達し、触覚において知覚した立体感覚に視覚的な奥行きを触覚知覚にフィードバックさせて、空間的な立体感、奥行き感を感じれるようにします。
 また次に聴覚が発達することで、音源からの距離感が空間的な広がり感を持たせるのではないか、と考えています。
 聴覚については、知覚する対象の音の性質から今はさらに加えて時間感覚の基底になっているんじゃないかと考えています。
 この様に主だった知覚器官の触覚、視覚、聴覚の三知覚が成立した上で、自己と非自己との関係性や、関係性における価値観を認識していくことで、自我という概念を形成していくのではないかな、と考えています。
th_知覚から意識への構成.jpg
 これは何を意味するのかというと、今までの宗教やスピリチュアリズムが言うような、肉体は魂の乗り物であって、魂は自我の延長線上の形態を保っていて、天国や地獄があって、という様な世界観のイメージは、身体上で成り立つ自我概念の延長でみている可能性がある、という事です。自我はあくまで身体を通した知覚認識の上で成り立ち得るもの。では身体以前の意識の形態や認識概念はどの様なものか?はまだわかりませんが、少なくとも現在私たちが認識しているワタシをワタシと自覚する自我はこの身体の上で生きている上でのもの、と言えそうだということです。

P:確かに言われている通りの解釈はあるかと思います。。
 ただ、感覚器官の成長は、必ずしも一律になるとは思ってないんです。。
 というのも、NLP・神経言語プログラミングの考え方では、個々人が持つ五感(視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚)をモーダルチャンネルと表現し、中でも世界認識の中心的役割を持つ感覚器官をサブモダリティと言うんですが、実はこうしたサブモダリティの違いによって「個性」が生まれると考えているからなんです。
 でも、天国や地獄といった世界観が「自我概念の延長」とするあたりは面白いですよね。
 ちなみに、このサブモダリティには、
 「視覚V」のサブモダリティ(色、形、明るさ、彩度、動き、距離、位置)や、
 「聴覚A」のサブモダリティ(音の大きさ、音程、音のスピード、リズム、音の聞こえる位置)、
 そして、「体感覚K」のサブモダリティ(温度、湿度、感触、重さ、圧力)とあるんですが、
 面白いのは、こうしたサブモダリティによる個性の違いを別の角度から捉えた方がいまして、
 それが僕の師匠の師匠にあたる「野口晴哉」先生という天才的な整体師なんですが、
 その野口先生による「体癖論」によりますと、
 身体の「重心」の取り方によってサブモダリティの違いが生まれると言われています。
 もちろん野口先生は「サブモダリティ」という表現をしているワケではないですが、
 簡単に言うとNLPにおけるサブモダリティのことではないかと解釈しています。
 つまり、「重心」の位置の変化は「サブモダリティ」の変化に通じることになるワケです。
 余談ですが、この「重心」がうまく取れていないとき、人は「自分らしさ」が失われたように感じるそうなんですが、そうしたことが起こる背景はSOT(仙骨後頭骨テクニック)を発展させた「CSF脳呼吸法」を提唱されている宮野博隆先生との出会いによって、その理由をかなり正確に知るに至りました。
 実はそうしたヴァイタルサインは、その人の姿勢や表情からも読み取ることが可能なんですよ。
 また、そのことはNLPの前身でもあるスリーインワンキネシオロジーでも同様のことが言われていますね。

R:NLPや体癖論は面白そうですね!
 今少し表情の話がでたので、ちょっと顔に関係して、ボクがどうして、先ほどの感覚器官があの様な段階を踏んで発達していくのかと考えた根拠をもうひとつご紹介します。
 ボクがお話した三大知覚器官の発達については主立ったものの大きな流れとしての話であり、個性ということを考えた時は小さい流れでは個々の感覚器官の発達に差や偏りはあるんじゃないかなとは思っています。
 ただ、顔の中に感覚器官の発達段階が顕われている様に思えるところがあるんです。
 図がないので、説明がわかりにくいかもですが、まず顔の一番下には、口があります。口、とくに唇は触覚の代表格たる器官です。赤ん坊はつかんだものは何でも口元に運び、唇で触れてみます。ここで触覚感覚を養う訳ですね。身体全体の皮膚ももちろんですが、まず唇の触覚感覚から発達していくように見えます。
 次に口内に存在する味覚ですが、これは口の奥に派生的に発生したともみれます。次の鼻もですが、これも口と目の間に存在し、口と目の中間的知覚器官ともとれます。触覚、味覚がモノラルな知覚なのに対して、視覚、聴覚はステレオな知覚です。そして嗅覚器官の鼻の穴は二つあるものの、知覚的にステレオになりきれておらず、そういう意味でも口と目の中間的器官とも言えそうです。
 視覚器官の目ともなると、本格的なステレオ器官となっており、鼻の上に存在します。さらに聴覚の耳ともなると顔の左右についています。
 顔面上の知覚器官と脳の位置関係は、ワイングラス状に下から上に向かって発達段階を辿る知覚器官、そしてさらにその上にそれらを統括するように鎮座する脳、という様相が見られるので、知覚器官はそのような発達段階を辿るのではないかと考えたんです。

P:耳が左右についているのは、面白いですよね。
 先ほど、Ricardoさんは「空間的な広がり感」が「聴覚」にあるとおっしゃってましたけど、
 次元観察子ψ9辺りで横からの視座が入ってくるという半田さんの解説にもあるように、
 僕もその「左右」という方向性が「奥行き」というか「距離感」の元になっていると思ってます。
 ただ、絵画などでいう「遠近法」における「消失点:vanishing
point」のような「正面」に対する「左右」に設定されている点がちょっと異なるのかなと思いますね。
 そこからさらに進めて、この「空間的な広がり感」は、実は「腕」の位置も重要な役割があるのではと思っています。
 つまり「手」にいたる「触覚」が、上下でも前後でもなく、左右についていることに意味があるんだと思うんですね。
 ここ最近は、そうした「触れる」という行為もしくは「触覚」が、先ほどの「CSF脳呼吸法」に関わっているのでは?と、臨床的な確信を得ています。

R:そうですね。顔の構造も興味深いですけど、身体側の構造も興味深いところは多いですよね。
 ボクの個人的なイメージですが、脳が植物の種だとすると、身体の神経網は植物の根だというイメージがあるんです。脳は精神世界から物理世界へ落ちた種で、その種から物理世界側へ根を張っているような。
 そして頭部は四肢(4)を統括する5であり、また始まりの1でもある。とか。

P:身体の神経網は植物の根だというイメージ。。そういうイメージは僕にもありますね。
 実際、この神経網ですけど、「CSF脳呼吸法」では、脳の第3脳室から成人で毎分10から12回、
 生産と排出を行っている「CSF・脳脊髄液」という体液に注目するんですが、
 このCSFの働きは正に植物の根のような神経網に対して潤いを与える「水」のように流れていく。。
 このことで、結果、内臓が正常に働くとみています。
 例えば、「胸椎T」8番は肝臓と関係する神経節が配置されていますが、T8の動きが固くなると、
 このCSFの流れが滞りますので、肝臓に至る神経節にCSFが不足し、肝機能に影響を与えると言われています。
 ところで、この「CSF・脳脊髄液」は「第1次呼吸活動」とも言われ、身体の根本的な呼吸活動と言えるものなんですが、このことは、「第1知性」としてのNOOSの射影ではないかと考えています。
 ちなみに、「第1次呼吸活動」に対する「第2次呼吸活動」というものもあるんですが、
 それがいわゆる通常の「呼吸活動」を指しています。

R:へー、面白いですね!
それはそうと、最初に脊椎と観察子の対応をおっしゃってましたけど、今はまさに人間の意識に大きな変化が起きようとしている局面だと思うんですけど、そんな現代人の精神構造の変化は脊椎においては何かの形で反映されているところはあるんですかね。

P:そうですね、現在、世界は正にグローバリズム絶頂かと思いますが、
 こうした世界の動向をヌーソロジーではψ11・ψ12と捉えていますよね?
 ドゥルーズとの対応から言うと「資本主義機械」です。
 先ほど、「次元観察子ψ」が「胸椎T」12椎の由来であると言いましたが、
 このことはつまり、「胸椎T」11番・12番は、ψ11・ψ12と対応することを意味します。
 そして、興味深いのはこのT11・T12の動きが固くなる傾向が最近の人達にはあるということです。。
 グローバリズムの加速とT11・T12の固着。。
 実はこのT11・T12は、「腎臓」と関係がある神経節が配置されているんですが、
 CSFの流れがこのT11・T12で滞ると、ヴァイタルサインとして「表情」にも影響を与えます。。
 というのも、「目」の土台ともいうべき「頬骨」が、実は「腎臓」と関係がありまして、
 結果、腎臓の働きの衰えがこの「頬骨」を下げるという現象として現れてくるからなんです。。
 頬骨が下がってくると、笑顔にも支障をきたしますよね?それは「笑えない子」が増えているということなんです。
 何よりほお骨が落ちると「疲れ」を感じさせますから、健康的とも言いがたいですし。。
 あと、この「腎臓」の影響から、背骨全体がS字ではなく、真っ直ぐになってしまう子供たちも増えています。
 もちろん、大人でもこの傾向は増えてきているので、T11・T12のリリースはとても重要かと思われます。。

R:顔に自我形成の基礎構造が現れているなら、現代の構造的な歪みは、顔にも何らかの形で現れているんじゃないかなと、思ったんですが、やはりそうなんですね。頬骨かぁ。

P:その視点はなかなか鋭いと思います。
 先日の3・11以降、「放射能」という恐怖に僕自身「思考停止」に陥ったときがあったんですが。。
 でも、「背骨とは【認識】におけるまさに『バックボーン』ではないのか?」という持論が、
 そうした思考停止な自分にある意味「負荷」となって。。
 それならばと本当に「思考」し続けた3月中旬。。
 Lodgeのケロビム・hiroさんとも「こんなときだからこそ何か思考していこう!」
 ということで、以前に行った「生物進化」についての意見交換をSkypeでさせてもらったんですね。。確か3月20日だったと思います。
 そのとき、ネットに繋がったときの自分の表情が本当にぐったりしているというか。。
 そのことはケロビム・hiroさんにもツッコミまれる始末だったんですが、
 まさに構造的なゆがみが顔に表れた瞬間でもあったワケです。。汗
 ちなみに、ケロビム・hiroさんから以前の勉強会で伺った話しに、東洋の「五行思想」の「五行」。。実は「惑星」が対応しているんだ!という話しがありまして、
 確か以前、Ricardoさんは「曜日」と「惑星」の対応についてつぶやかれていましたよね?

R: そういえば、つぶやいてましたね(笑) 誰かのつぶやきに関連してのつぶやきだったか、誰かのRTだったか・・・

P:何れにしろ「曜日」や「五行」が「惑星」と関係しているのであれば、それはヌーソロジー的には「惑星次元」、
 つまり「体系観察子」に対応するワケですから、そうした観点から「背骨」を読み解くことは可能かも?
 というワケで、懸案だった「体癖論」と「五行」、そして「背骨」の対応性についてじっくり考えてみることにしたんですね。
 それがこの図(PC画面上)、「観察子から捉えた「五行」と「体癖構造」」になります。。
th_tc_taiheki.jpg
 まず、単純に「体系観察子」を「五行」に対応させてみました。
 すると、水行がΩ3の水星、金行がΩ4の金星、土行がΩ8の土星、火行がΩ6の火星、木行がΩ7の木星と対応しますので、
 「胸椎T」9番はψ9を意味しますので、その凝縮化のΩ3はT9と関係することになります。
 それを続けて行うと、T10がΩ4の金星に対応し、T11・T12がΩ5※とΩ6の太陽と火星に対応し、
 「腰椎L」1番がΩ7の木星に対応し、「腰椎L」2番がΩ8の土星に対応するということになります。。
 が、実はこのままでは「体癖論」における中心的な役割をする「腰椎L」との対応が難しくなってしまうんですね。。
 というのも、「腰椎L」の5椎のどこに「重心」を取るかによって「体癖論」は構築されているんですが、
 それだけでなく実は「五行」との関係も踏まえる必要があるからなんです。。
 この辺の解説は、ちょっと難しく聞こえてしまいますが、とにかく、L1をΩ7、L2をΩ8まで対応させてはみても
 L3をΩ9とする対応は「五行」の「何」と対応するのかが不明になってしまうんですね。。
 ところが、ここでひとひねりして、体系観察子Ω7以降は「脈性観察子」に凝縮化し、
 「五行」における「相剋関係※」による次元発展をすると考えると、Φ1であるL1は「木行」と対応し、
 Φ2であるL2は「土行」と対応し、Φ3であるL3は「水行」と対応し、Φ4であるL4は「火行」と対応し、
 Φ5であるL5は「金行」と対応し、するとめでたく「体癖論」と接続が可能になるんです。
 今後は、より多くの臨床データを取って行く必要はあるかと思いますが、ここ数週間・数ヶ月におけるクライアントの観察を観る限り、
 有効性についてはかなり自信がありますね。
 余談ですが、本来ならΩ5※が来るべき位置にΩ8が来ているのは、潜在化の現れではないかと予想しています。
 興味深いことに九星気学では、どちらも「土行」に対応していますが、それだけでなく、「8」は「東北」に対応しているんです。。
 これから言う話しは話し半分に聞いて欲しいんですが。。
 先日の東日本で起こった大地震は、Ω8である東北に変化が起きたことになりますが、
 これはΩ5である太陽のチカラの復活を意味しているように思えてならないんです。。真実の太陽というべきか。。
 日本は昔から「日出流国」として言われていますが、そうした流れで言うと、土行の一つである「2」をΩ2とするなら、
 九星気学でいう「南西」にも何か変化が起こるのではないのか。。?
 そしてそのとき、この「太陽」のチカラの顕在化が完了するのではないのか。。?
 と、ちょっと突拍子もない話しですが、そんなことを考えてしまったワケです。。
 ただ、あながちそう言えなくもないのかな?というのは、「脈性観察子と太陽系次元」のTCによる予想図を見ていただきたいんですが。。
 ちょうど2013年以降の「第8次太陽系次元」の始まりをΦ9と予想していますが(ここは身体でいう「仙骨」に対応する位置と解釈しています)。。
 具体的には「脈性観察子」のTC予想図にもある通りこの位置はPSOサーキットでは「細胞次元」と対応してきます。
th_TourbillonCircuit(脈性観察子).jpg
 ヌーソロジーでは「DNAのコドンの生成」や「アミノ酸の生成」場になるようですね。
 もしかすると現在は解釈が変更しているのかも知れませんが、半田さんの解説によると、
 ここは「概念を構築する観念の機構が生まれている場所」ということになるようです。。
 まさに3・11以降、様々なことが明るみにさらされ、また深く考えさせられる事態が続いていることを思うと、
 ヌーソロジーが世界に果たす役割の重要性が感じられますし、こうした対談も何か変化を起して行くきっかけになればと強く思う次第です。。
 ただ、こうした考えはあくまでも僕自身の解釈ですし、他の方のご意見等を妨げるものでは全くないことを付け加えておきますね。。
 あ、「相剋関係※」についてですが、ここでは割愛します。。すみません!ネット検索をよろしくお願いします。。汗

R:この五行の図は深そうですね!
ちょっとこれは読み解きたいなぁ。
この図、身体の対応と惑星の対応を紐付けて見ていくと面白そうですね。
 占星術でも惑星を身体の特定の部位に対応させたりしていますよね。
 大系観察子が具体的に惑星と対応して、TourBillon
Cuircitやこの五行の図が具体的に身体との接続を現し、そしてボクの自我形成論で、自己の内在世界とも繋がってくるともなると、ヌーソロジーがどんどん自己の身体や意識という具体的で身近なところへと繋げていけるような気がしてきますね!

 さて、おおよそ時間も来ましたし、今日のところはここまでとしましょう。
 Psypherさん、ありがとうございました。
 また視聴いただいたみなさん、ありがとうございました。
 次回および今後の形式については、まだ未定ですが、またこんな感じでいろいろ話していければ楽しそうですよね。

P:全くその通りですね!
 こちらこそ今回は本当にありがとう御座いました!
 Ricardoさんと有意義な時間を共有できたこと、心から感謝しています。
 これからも気長におつきあいいただきながらお話しをさせてもらえればうれしい限りです。
 また、ご視聴していただいた皆さんにも感謝しています。まだまだ、分かりづらい表現が多かったかと思いますが、ご参考いただければ幸いです。
 今後、いろんな考え方を共有して行きたいと思っていますので、ぜひ、LodgeやTwitterなどでご意見をくださいね!

R:ではでは、みなさん、またお会いしましょう〜

R&P:おやすみなさい〜!

第6回東京ヌース倶楽部 概要(テキスト版) [ヌーソロジー]

(以下は先日行われた第6回東京ヌース倶楽部の概要をテキスト化したものですが、実態とは若干違いがあります。記憶を辿って書き起こしたので、違いはご容赦ください。)

(後半の解説用の図は後日追加します。)

 皆さん、お久しぶりです。
 実に半年振りの開催となってしまいました。
 3月に震災もあったので、皆さんご自身の生活面でも大変だったと思いますが、一方でヌースについては皆さんいかがでしたか?
 私もですが、皆さんもご無沙汰と思いますので、今回はあるビデオを観ていただき、ちょっと私から解説も加えて、皆さんで意見交換もして、ヌースな感覚を取り戻してみましょう。。

 今回観ていただくビデオは、イギリスの神秘主義者で哲学者であったダグラス・ハーディングさんが考案した、内的な視座に気づくための実験技法です。
 この気づきで得られる視点がまたヌースとかなり近いものがありますが、まずは一通り、約1時間ほどの動画を通して観ていただきます。
 その上でまた解説しながらお話していきましょう。

 動画は8つに分かれていますが、続けて再生しますね。
 それでは、どうぞ。

1A 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=98CindnEs58

1B 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=AyXUmekiw6I&feature=related

2A 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=ToEI6iZZPYY&feature=related

2B 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=EWp0hpzCRYs&feature=related

3A 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=lHE7YDBNW4w&feature=related

3B 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=Fl9_2Yx7HTM&feature=related

4A 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=8dllIYj2Bog&feature=related

4B 私たちの本質とは何か?.mov
http://www.youtube.com/watch?v=Hv7MkVxTrJE&feature=related

 以上で動画は終了です。
 みなさん、いかがでしたか?

 動画中の解説はリチャード・ラング氏が行っていますが、指さし確認の、指が自分を向いた際の意味合いは理解できたでしょうか?
 これは指の向く方向を意味しているのではなく、実験者自身の視線の向いた先を指しているので、指が自分を指したときは、自分自身が視ているものが何か?ということになります。
ということは、指が自分を向いたときに意味しているのは、「あなたは今何が見えていますか?」となります。

 もうお気づきかと思いますが、これがヌーソロジーでいう知覚正面、主観的視座、ψ3の外面です。
同様に双方向の指さしで判るのは、ψ3とψ4の両方向、主観的視座と客観的視座、内面と外面、という事になります。

 また、それらの視座において認識される私的アイデンティティと公的アイデンティティという表現が出てきましたが、これらも主観的な自己と客観的な自己、ということになります。

 さて、ここからヌーソロジーへと繋げていくわけですが、この様な視点、視座で世界を視ることと、ヌーソロジーの言う精神が物質であり世界であること、とはどういうことなのでしょうか?

 みなさん、ヌーソロジーにおいて、三次元空間をリーマン球のモデルになぞらえた、ψ3とψ4のリーマン球的モデルの図をみたことはありますよね。

 まず、三次元空間を平面という二次元に落として表現します。これを三次元平面と呼びます。
 この三次元平面の中は三次元空間です。

 さて、ワタシが今目の前に観ている物体の中心点を点Oとします。
 この点Oを接点として、この平面を球体状に上方向に丸めます。すると球体が出来ますね。この球体は先ほどの三次元平面を丸めただけですので、この球体の表面、球面上は三次元空間となっています。 三次元球面です。
 これらの図はあくまで関係性だけを表現していますので、具体的にこういう構造が宇宙の中にあるわけではありません。

 さて、先ほどの任意の物体の中心点Oを観るワタシの位置を点Pとしましょう。
 ワタシが点Oから離れることは、あるいはワタシPから点Oが離れていくこと(相対的には同じこと)は、三次元平面上では点Pが点Oから離れていく様に表現されます。
同様に、球体上の三次元球面上では、最下部の点Oから点Pが球面上をなぞって上昇していく様に表現されます。

 ここまではいいですか?

 さて、先ほどもビデオにありましたように、私的アイデンティティにおけるこの視野上では奥行きは一点同一視されます。どんなに遠い位置も、ワタシの視野上の一点と重なって同じ点として見えてしまうわけです。
 これを先ほどの図で表すとどうなるでしょうか?
 三次元平面上では、点Oから離れるほどに二点間の距離が離れていきます。この二点間を結ぶ線が点に見える表現をしたいですね。
 そこで先ほどの三次元球面上ではどうでしょうか?
点Oと点Pを結ぶ線が一点に見える位置、それは三次元球面上の頂点、三次元空間では無限遠点とされる位置、ならその視線が球体の軸として立てば、点Pから点Oに向かう視線軸は一点同一視できますね。
 もうお気づきかと思いますが、三次元球面を貫く視線軸は、おそらく四次元の線です。よって、私たちが三次元空間上で、視野上の一点と遙か彼方の一点を同一視している視点は、三次元空間に対して四次元に立っている位置、ということになります。
 さらに、任意の一点Oは、遙か彼方の点に限らず、どの位置の点でも構わないわけで、私たちの視野上では任意の点Oと視野上の点Pは一点同一視されますので、ワタシは常に無限遠点に立っていることになります。
 そしてこの三次元球面、四次元球体の直径は、一点同一視したときほどの厚み、私たちの意識上では厚みが分からないほどの厚み、極微小にまでに縮められていると考えることが出来ます。
三次元平面上に張り付いている極微小の四次元球体、というイメージです。

 さて一方では、私たちはこの三次元空間内では無限の奥行きや広がりをも感覚しているわけです。
ヌーソロジーでは、こちらの空間概念を他者からの視線方向が作り出す客観的空間、ψ4の空間としています。
 先ほどのビデオでの、ワタシの視線方向とは反対方向の視線で観る空間ですね。
 モノと自己を隔てている距離感、また背後に広がる無限空間です。私たちは、この無限空間を自己の前側にも適用して、主観的視座を潜在化させてしまった上で、世界は無限に広がる空間だ、とか言っている、という訳です。
 では、この空間概念を図として現すとすると、どうなるでしょうか?

 無限遠は点では閉じず、開放系となっていますので、放物線を軸を中心に回転させた、いわばお椀を逆さにしたような図が、例の三次元平面の下に張り付いているイメージとなります。
 この図であれば、三次元平面との接点Oから自己Pは離れるほどに、曲面を下っていく様に表現されますが、開放系の曲面なので、点Oから離れれば離れるほど、点Pは単純に遠ざかる、まさに私たちがこの宇宙空間の中で感じている空間感覚となります。私たちはこのお椀型の曲面上の点Oー点P間の最長距離が137億光年だと言っているわけです。
 そしてこの曲面上では、四次元の位置に立つことは出来ず、よって無限遠点から点Oに向かった四次元軸を立てることは出来ないわけです。
 視野上で、無限遠の位置を遙か彼方として感じている感覚のことですね。

さて、これら三次元平面の両面に接する球面体と曲面体は、軸を中心に回転しています。
私たちの視野上でも、一点同一視している視線軸を中心に世界は回転的に広がっており、よって前述の球面体と曲面体は軸を中心に常に回転しているという言い方も出来ます。

 詳しい解説は、私も得意ではないので割愛しますが(苦笑)、この様に二つの接する回転(スピン)を持つ四次元体の構造が素粒子の構造に似ている、とヌーソロジーでは言っています。
 またこの意識(無意識層も含めたもっと大きな構造体としては精神)が織りなす構造はさらに多層的であり、それらの構造により素粒子からこの物理世界の全てを創りあげているのではないか、としています。

 このヌーソロジーの主張は、過去からの神秘思想や宗教、哲学や現代のスピリチュアリズムが「世界はワタシ、ワタシは世界である」と説いてきたものを、具体的に示すものとなります。
 そして解脱や覚醒無しでも、その構造感を理解出来る、ということでもあります。

 今お話した外面、内面の関係性や、主観的、客観的視座といった構造は、ヌーソロジーの観察子という構造体系の基礎にあたる関係性です。
 そしてヌーソロジーでは、次元観察子、大系観察子、脈性観察子といった観察子体系をもって精神=世界の構造を説明していきます。
 そしてこれらの体系が、自己側と他者側に存在して、反対側へと「裏支え」ていたり、「凝縮化」していたりと相互に入れ子の様な、多重で複雑化したルビンの壷の様な、構造感をもって展開されていきます。

 さすがに、この複雑に入り組んだ状態で構造を理解をするのは非常に難しいので、通常は自己側からのみの解説が主ですが、これほどまでの構造感をもって、私たちの目前に広がる広大な大自然、大宇宙を構成していると考えれば、ヌーソロジーは構造主義的で冷たいとする意見もそんなことはないだろうと考えることもできます。
 私自身は、ヌーソロジーは非常に壮大で豊かなものを内包している思想だと、個人的には思っています。

 以上、ハーディングのビデオからヌーソロジーの超概説へときました。
 駆け足の解説になってしまいましたが、前回から半年空いてるので、リハビリにはちょうど良いかな?と思いましたがみなさん、いかがでしたか?
みなさんはどのように感じましたか?

(以下、意見交換へ)
(意見交換は割愛)

関連リンク:
ダグラス・ハーディングの「頭のない方法」
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/index.html

Psypher&RicardoのSkype対談をUstream配信決定! [メディア]

突然ですが☆


独自の身体論「TourBillon Circuit」を展開しているPsypherさんと、同様に独自の自我形成論を構築しはじめているボクRicardo、のSkype対談を、Ustreamにて配信することになりました!

二人の身体論&自我論は独特なものではありますが、いずれもヌーソロジーともふかく結びついているので、この対談では、ヌーソロジーをキータームにして、お互いの持論を展開しつつ、対談、雑談形式でいろいろな話ができれば、と考えています。

直接的にヌーソロジー、というよりは、ヌーソロジー周辺を回遊しながら、というイメージかもしれませんが、興味ある方はぜひ視聴してみてください!

当然、一回で終わる話ではないと思われますので、数回もしくはシリーズになっていくかどうかは未定ですが、そんな感じで気長に気楽にやっていきたいと思ってます!


配信日時:  平成23年6月18日(土) 22:00-24:00(予定)

配信サイト: http://www.ustream.tv/channel/ricky-rt

視聴パス: ロッジメンバー以外はTwitterアカウント @Ricardo_orbrs へお問い合わせください。

愛の幾何学 [思索]

 愛とは何か?
 感情なのか?
 行為なのか?

 その昔、「愛の論理」なる書籍があって、それは情念的な愛をも含めて、愛をジャンル分けしてみたり、マトリックスマッピングしてみたり、していた。
 そういった愛の形態の中で、いかに純粋な愛と思われる方向性へとチューニングしていくか、みたいな内容だった様に、淡く記憶している。
 だが、ボクなりには、子供の頃から愛とは行動や関係性の形態を便宜的に愛と呼んでいるのではないか、どこか構造的な形態の在り方を便宜的に愛と呼んでいるのではないか、という感覚はあって、愛という情動・情念が自らの内に特別に存在しているという見方や、無条件的に世界は愛だとする意見に違和感を感じてきていた。

 結論から言ってしまうと、ヌーソロジーでは、ψ7、ψ8の元止揚空間の、人間的な意識の構造感が愛と呼ばれる意識形態の基盤となっている解説を聞いたときに、すごく納得したのをはっきり覚えている。

 元止揚空間とは何か?
 ヌーソロジーでは現象学的に、自己にとって世界を構成している「前」と「後ろ」を明確に区別し、五感覚が成立する空間感覚の中で、「わたし」の「前」と「後ろ」と、「あなた」の「前」と「後ろ」の四対の組み合わせで、世界の構造を捉えていく。

 「わたし」にも「あなた」にも他者には代え難い「主観」があり、お互いはお互いの主観の中に相手を見出す。またその一方で「客観」と呼ばれる他者の視線をも意識し、見られることによって成立する「わたし」と「あなた」をも同時に構造として踏まえている。

 この構造感をヌーソロジーでは双対構造と呼び、世界は双対構造の形態的精神によって幾何学的に構築されているとしている。


 さて、振り戻って、「愛」とは何だろうか?

 マザーテレサは、「愛」の反対語は「無関心」だと言ったそうだ。
 同時に「ありがとう」の反対は「当たり前」だそうだ。

 これを構造的に捉えるなら、同一性との差異という形で「愛」を捉えられるのではないかと思う。

 「無関心」や「当たり前」とは、その対象事象を、その対象の背景と同一性をもって潜在化させてしまう状態を言っているように考えられるのではないか。
 「わたしにとってそれは、感心の無い他のものと同じように感心が無い」

 一方で「感心がある状態」とは、その対象事象を、その対象の背景とは差異がある、同一化していない状態として捉えていることのように考えられるのではないか。

 一般的な言い方では、「感心があり、その対象存在を受入れる」ことを感謝や、そして「感謝をもって関係性をつくる」ことを愛と呼ぶなら、愛とは、「対象に感心をもち、感謝をもって関係性を築くこと」とも言えるのではないだろうか。


 もう少し別の言葉で言うならば、「無関心」や「当たり前」の対象が同一性に埋もれる状態は、「わたし」の主観的「前」が「わたし」にとって特別であることの反対として、「わたし」の「後ろ」や「見られるわたし」はその他と同一化させてしまう客観性の視点から成っているとも思える。

 平たく言ってしまえば、「愛」や「ありがとう(感謝)」が「わたし」の主観的「前」の要素を強くもっているのに対して、「無関心」や「当たり前」が「わたし」の客観的「後ろ」の要素を強くもっている、とも言えるのではないかと考えている。

 倫理はロジカルに解説されることはあまり聞かないが、こういう構造感をもって捉えることで、「わたしにとってどう大事なのか」を考えることの重要性は、構造的に意味があることが見え易くなってくるのではないだろうか。


 (この先はボクの推論・独論に入ってしまうが)もっと突っ込んで言うとすれば、ボクたちが「愛」だと感じている感情・情念は、「愛」や「感謝」、「無関心」や「当たり前」といった現象として現れた「わたし」にとっての「場面(現象)」を、内臓に由来する「感情」感覚にて捉えて反応している状態なのではないだろうか。

自我の形成について [思索]


自 意        自 我
我 識        意 識
無意識        無意識
精 神  あるいは、 精 神

自我と意識は無意識の上に成り立ち、無意識は精神という全体構造の一部の構造だと仮定して。

三次元的な空間感覚を成立させる身体の知覚器官や、時間感覚を成立させる時間概念が成立する上で、自我概念は成り立つ。

「わたし」を認識する際には、「わたし」では無いものを認識できている必要がある。
また、「わたし」を位置づけるとき、「わたし」以外の存在との関係性を認識できている必要がある。

前者は、空間知覚および物理知覚的な認識が成立するという条件を指す。
触覚は、物体の凹凸を認識することで立体感を知覚し、視覚は距離感を認識することで遠近感(奥行き感)を知覚し、聴覚は音の変化により時間感覚を知覚する。
これらの知覚は全て、自己と非自己が識別されるという大前提の上に成り立つ。

後者は、存在物同士の関係性の認識、またその関係性における意味性、価値観を認識する能力を指す。

価値観や意味性は、存在物同士の関係性や、時間的経緯という概念の上で成り立つ。
また関係性の概念は、存在物を知覚する、空間感覚や時間感覚の上に成り立つ。

では空間感覚や時間感覚は普遍的な概念なのか?

私たちは、物質に立体感を見い出し、空間に奥行きを感じ、自らの身体が空間に物理的に位置を占める構造物だと認識している。
もちろんこれはこの科学的世界観の中では正しい。

しかし、私たちが知覚、認識するものが絶対的な現象ではないことは、科学的観点からでも推測出来る。

触覚神経は皮膚の内部に存在し、物質に直に触れて知覚することはない。また神経自体が知覚を生じさせるわけでもなく、刺激の総合的観点から、触覚感覚が発生する。

視覚は、光刺激を受けることで視覚知覚が発生する。その構造上視覚は光を介して間接的に対象を観察する。
知覚した対象を間接的にしか認識できない上に、視覚器官には様々なフィルターがかかっている。
視覚細胞の構造上知覚可能なカラーレンジに制限があったり、知覚可能な物理的サイズに制限があるなど、見た光景が必ずしも外在世界を正確に認識しているのでは無い、どころか私たちの視覚では外在世界の真実の姿を見出すことは出来ない。

聴覚は、その構造上やはり知覚可能な音域に制限がある。また聴覚対象は音自体であり、音源自体を認識するわけではない。

こららの事実に加えて、私たちが無意識に認識している、空間感覚、時間感覚は、私たちの身体の知覚器官を通すからこそ得られる知覚認識であり、精神が身体を通して無意識層を形成し、無意識層上に意識層が形成された上で自我概念が形成されるのだと推測される。

身体を通して知覚するから、物質は立体感を帯び、場は空間として奥行きを醸し出す。それらをベースに音が時間を奏でる。

私たちは、この世に生まれた瞬間から、モザイク状の外在知覚をひとつひとつ紐解き、自己と非自己を見分け、物の立体感を感じ、空間の奥行き感を発見し、音とともに時間の流れを意識するようになる。

私たちは身体を通すから世界が三次元空間だと認識できるのだ。

そして、そういう知覚認識が、「わたし」を「わたし」として成立させている。

「わたし」でないものからの「わたし」の切り離し。
「わたし」でないものと「わたし」の関係性の見い出し。
「わたし」でないものから見つめられ、見られる「わたし」。
見られる「わたし」としての位置づけの確立。
見られる「わたし」たちの共有空間の形成。


この流れの中で「わたし」は「あなた」を見い出し、また、見る「わたし」と見られる「あなた」、そして見られる「わたし」と見る「あなた」という双対構造もまた現れてくる。


「わたし」たちは、「わたし」でないものから切り離れてからずいぶん遠くまで来た気になっているが、もともと、いや実は今でも、「わたし」は外在世界と呼ぶ場の反対存在としての同一存在なのだ。
そして、「わたし」と外在世界の関係の構造と同様の「あなた」とあなたの外在世界という構造として、「わたし」と外在世界の構造の中に双方に絡み合い組み込み合って、世界を構成している。

2010.12.4 Talk on Noosology Lodge @kohsen [メディア]

昨年12月4日に実施したNoosology Lodgeの忘年会と併せて行われましたKohsenさんの東京でのトークイベント動画を、ようやくアップロードして公開しましたので、お知らせします。

http://www.ustream.tv/recorded/14474315
閲覧用パスワード: Noosology Lodge内で開示中
ロッジはこちら→ http://ht.ly/4N7ww

映像は約2時間15分程度です。
途中、映像が重複している箇所があったりとお見苦しい場面がありますが、お許しください。

娘の成長に見る自我形成、とか [思索]

5歳の娘が初恋の模様。はてさて、好きと言う感情はどの様に形成されたのか。


赤子は誕生した瞬間からその肌で空気に触れ親に抱かれて、自己と自己以外を学習する。口唇期を経て、二次元の"空間"マトリクスに三次元要素を組み入れ三次元空間を構成する。


三次元空間を構成と並行してモノ概念がまずは触体験を経て伝えられ、続いて言語を以って伝えられる。モザイク模様の触覚認識におけるそれぞれの模様が図と地に分かれて個別化し始める。個別化したモノに名が与えられ、物として固有値を持ち出す。


三次元構成の空間と固有値を持ち始めた物質から成る世界を聴覚による音響認識がその概念を強化する。視える物と聴こえる音が合成されて、"コレ"認識から"アレ"認識へと認識能力が成長する。


触って視て聴いて名付けて。これを、繰り返してモザイク模様だった世界認識を空間中に物質溢れる認識へと強化させていく。この過程で"地"に分かれた空間自体の認識は誰からも伝えられずに無意識下へと潜在化していく。


空間中に物質溢れる世界認識が確立されると今度は物質間の関係性の構築が始まる。人間関係の基礎、所有概念の基礎誕生。
この頃までには感情の基盤となる内臓系もおおよそ成形されて発達成長の段階に入る。
感情は内臓系を基盤とした身体感覚をベースに豊かに構築され始める。


世界にはたくさん物があってたくさんの人も居て個々に個立して生きている事が認識され得ると、他者体験の自己への模写や自己体験の他者への投影が始まる。こうして自己と他者がそれぞれに個々の体験を繰り広げる豊かな世界観が形成され始める。


こうした認識の成長過程において、"ママ/パパがわたしを好き"、"パパとママはお互いに好き"、を自分の周囲にも投影し始めたのが娘の初恋なのではないかと。

などと父親の微妙な心境を屁理屈こねて言い訳してみたり …orz
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